DAY-1

まえがき

2020年2月7日。その日は、冬の金沢らしくない明るい空が広がっていた。聞けば、前日、今シーズン初めて雪らしい雪が降ったという。街中に雪は残っていなかったが、うっすらと雪化粧した兼六園がかろうじて冬の金沢を演出していた。毎年恒例のイベントであったeAT KANAZAWAが2019年には実施されず、久しぶりの金沢となった。一昨年と異なるのは、“eAT”ではなく、“EAT” KANAZAWAとして開催される点だ。

eAT KANAZAWAは常に発展途上なイベントで、それこそが魅力だ。第1回目は1997年、これまで22回のeATが開催されてきたが、時代と共に常に何かを模索しながら成長し続けてきた。

eATとは「electronic Art Talent」の略。さまざまなジャンルのクリエイターが金沢市に一堂に会し、テーマに合わせたトークセッションやフォーラムを行う。これだけの説明ではその本質をうまく伝えることができないのだが、金沢という場の力と、登壇する一線級のクリエイター、eATプロデューサーが見つけてくる新しい才能が相互に作用し、これまで数多くの奇跡的なセッションが実施されてきた。また、定例となっている「夜塾」という討論会では、湯涌温泉の老舗旅館に参加者みんなで宿泊し、登壇者やゲストクリエイターと一般参加者が直接ひざを交えて気が済むまで自由に討論するという贅沢な時間が過ごせた。

その一方、20年以上の年月が流れる中で、テクノロジーや時流の変化に合わせてeATの役割も徐々に変質し、さまざまな事情が重なって2019年は中止となるに至った。中止の報を聞いたときには、あの空間が失われてしまうのかという、さみしさともったいなさが入り交じったような気持ちになった。そう感じたのは、eAT関係者やこれまでの参加者の皆さんも同じだったようだ。2020年の「EAT KANAZAWA」復活の告知が出るやいなや、すぐに満員御礼となった。

大文字となったEAT KANAZAWAで何が起こるのか。前夜祭の会場は「A_RESTAURANT」。eATを長年支えてきた宮田人司さんが率いるOPENSAUCEが展開しているレストランだ。世界中からシェフが集まり、常に新しい料理が生まれる金沢の新名所となっている。否が応でも期待が高まった。

A_RESTAURANT

オープニング

EATの“声”、南 早苗さんの司会進行で前夜祭が始まった。金沢市の村山 卓副市長からのごあいさつのあと、EAT KANAZAWA実行委員会の中島信也さん、小西利行さん、宮田人司さんによる今回の趣旨説明が行われた。

第23回は、EAT KANAZAWAの復活に向けた準備の回という位置づけだ。そしてeATの「e」が大文字の「E」になったのは、新しいEAT KANAZAWAでは「食」を取り入れた視点でやっていきたいという姿勢の表れでもある。

その点に関して中島さんは次のように語った。

「かつてのelectronicという言葉には、これからやってくるデジタル時代に対してわれわれはどう立ち向かっていこうかという大きなテーマがあったんです。でも今、デジタルとかエレクトロニックが普通になって、では次にどうするかというフェーズに変化しているんですね。そこでクリエイティブのことを考えたとき、僕は作り手をリスペクトする世界にしていかなければならないと思ったんです。クリエイティブの世界では、まだまだ受注側である作り手、クリエイターが弱い立場に立っている。一方、食の世界では、料理を作ってくれる料理人をリスペクトする考え方をみんなが自然に持てるようになってきていると思うんです。そこに何かヒントがあるんじゃないか。食がリードすることで、作り手をリスペクトする世界を作っていけるようなイベントにしていきたいですね」

スペシャルディナーセッション

2020年2月7日と8日の二日間だけ行われたスペシャルディナーセッション「Andre Chiang × secca with Shinichiro Takagi」。その二日目が新生EAT KANAZAWAの前夜祭となった。歴代プロデューサーを始めとして、これまでeATに関わってきたクリエイターが集まり、今回限りのディナーを楽しみながら、今後のEATに向けて食の力をインプットする時間となった。最初にseccaの上町達也さんによりシェフの紹介と、今回のディナーの趣旨の説明があった。

この日のために迎えた料理人は、アンドレ・チャン シェフ。9つのレストランを運営し、合計で9つのミシュランスターを獲得しているという世界で活躍するシェフだ。同時にアンドレシェフは、金沢が大のお気に入りで、何と住居まで持ってしまったほどだ。そこにA_RESTAURANTのエグゼクティブシェフであり、ミシュラン二つ星の日本料理「銭屋」の髙木慎一朗シェフも加わり、今回だけの特別なディナーが用意された。また、この世界クラスの2人による豪華な共創に、金沢で独創的な器作りをするユニットseccaが、スペシャルメニューのためだけに用意した器を提供する。

今回のディナーのテーマは「PERSPECTIVES OF KANAZAWA~金沢・新しい視点~」。アンドレシェフを中心にしたメンバーの思う金沢を表現したものだ。企画は、器作りを担当するseccaの上町達也さんと柳井友一さんも加わって、金沢のイメージを話し合うところから始めた。スタートしたのは半年以上前からだという。そこで出てきたキーワードをベースにメニューのイメージなどを話し合い、シェフがやりたいことや表現したいものを徐々に詰めていき、器もそれに合わせて一から制作した。今回のディナーのためだけに、メニューが作られ、料理を盛り付ける器も作られる。これだけのパワーを一回限りのディナーに振り向けると何が起こるのか、そこには文字どおり見たことのない食の世界が広がっていた。

メニューは、「六」「霧」「生」「鮮」「雨」「真」「雪」「継」のキーワードで構成される8品だ。

1品目「六」
──六景六味 “SIX” Experiments

まず、アンドレ・チャン シェフによるあいさつがあり、レストラン内のカウンターに並ぶ器の前に案内された。そこには兼六園をイメージした段差のある独特の形状の白い皿。皿の上には水で満たされた白い杯と、白濁したグミがひとつ置いてある。これから何が起こるのか想像もつかない組み合わせだ。アンドレシェフより説明がある。 「兼六園が演出する6つのシーン、そこからインスパイヤされた料理です。まず、杯の水を飲み干して、口の中をクリアにしてください。その後、グミを舌の上に乗せて変化する味を楽しんでください」

まず口の中をピュアにしたあと、グミを口に含むと、それは舌の上で、淡、酸、甜(甘味)、苦、鹹(塩味)、辣(辛味)と、約7秒ごとに味が変化していく。すべての味覚が刺激され、これから始まる、誰も体験したことのない食の旅への準備が整った。

2品目「霧」
──霧の食前酒 “FOG” Aperitif

テーブルの上にはシャンパングラスが運ばれてくる。食前酒は「霧」。グラスの表面はシャボン玉のような泡でふたがされており、グラスの中には霧が立ちこめていた。泡を割ると、フワッとなじみのある香りが立ち上る。香りの正体は何とカレー。お米が原料のお酒の上に、カレーの香りの霧が立ちこめる。添えられた串には福神漬け。

そこには、本来の姿とはまったく異なるが、確かに金沢カレーが漂っていた。

3品目「生」
──生食の衝撃 “RAW” Impact

金沢の美しい自然。山の恵みとの出会いを演出した一皿が驚くべき姿で現れた。森の中の苔むした木の幹が、ナスのピューレや、オートミールのチップ、メレンゲで形作られたキノコなどで美しく再現されていた。深い森の中を彷徨い、突然目の前に自然が提供してくれたご馳走が現れる。もはや器と呼べるのかどうかもわからない、木の皮をかたどって一枚一枚の形状が異なる皿が置かれたとき、店内のライティングも手伝って、そんな風景が頭の中に駆け巡った。カトラリーは木片。使いやすいわけではなく、スプーンに見立てられるギリギリの形状をしている。黒い手袋を付けて、汚れたりこぼしたりすることをいとわずに夢中で食べる。

森の中でおいしいものに出会った瞬間、手づかみに近い感覚で与えられたご馳走にありつく──レストランの中であることを一瞬忘れてしまうかのように料理に引き込まれた。

4品目「鮮」
──圧縮懐石 “FRESH” Hassun

金沢の食といえば、新鮮な魚介を思い浮かべる人も多いだろう。では、このコースにおいて、どのようにそれを表現するのか。「鮮」のキーワードのもと、饗されたのはビニール袋に真空パックされた銀色の缶が2つ。FRESHというキーワードからは想像できなかった異形の佇まいに意表を突かれ、各テーブルでは驚きの声が上がる。

「金沢の魚介の新鮮さをそのままダイレクトに届けたい。どうすれば最も高く鮮度を保てるのか」──これに対する回答が、この料理の姿だ。料理を直接真空パックする方法も考えたが、生の食材が守れない。では、鮮度の高い料理をそのまま缶詰にしようという考えから、このような提供方法にたどり着いた。

中身は、美しく小花で彩られたフグの刺身と、アンコウの肝とフグの皮の和え物。味わいの良さはもちろんのこと、新鮮な歯ごたえと歯触りが楽しい。

5品目「雨」
──及時雨 “TIMELY” rains

金沢には、スッキリとした晴天が続くイメージがない。晴れた日にも突然雨になり、しばらく降り続く。そんな光景が、まさかテーブルの上に広がるとは思わなかった。「及時雨」は、セビーチェという南米ペルーの郷土料理がベースとなっている。魚介をマリネしたときにそこからあふれ出るつけ汁「タイガーミルク」を、石川のブリ、アジ、甘エビにかけていただく。南米では、栄養価が高く元気になる料理と言われている。

セビーチェの器の上には、まるで実験室の装置のような特性の器具で据えられたソースの皿が浮かぶ。その小さな穴の空いた皿に、タイガーミルクを流し込む。すると料理の上に、あの金沢の雨が降り注いだ。ソースのしずくがひとつひとつ形をなし、雨粒を演出する。seccaはこの雨を表現するため、0.1mm単位で穴のサイズを検証し、ソースの粘性との相性を追求したという。そのこだわりは、見事に金沢の風景を再現していた。なお、使用後のソースの皿からしずくがこぼれないように、ネオジム磁石を仕込んだ受け皿がピタッとくっつく仕組けがあり、アイデアというより、その配慮に感動した。

6品目「真」
──真の日本料理 “INCONVENIENT” truth

ここで一転、登場するのはファストフードだ。コンビニのレジ横でおなじみのホットスナックをテーマに、気軽に食べられて、食べやすく、地元の味を楽しめて、環境にも配慮するという、美食の街の未来を具現化した「真のファストフード」を目指した。

自然素材である筍の皮でできた包みを開くと、中身は、やはり金沢の味を生かした蟹クリームコロッケがころころと3つ。竹串で刺して手軽に食べられる。ひとつだけ洋ナシのフライが入っていて、ちょっとした驚きとホッとする甘さを提供してくれる。極上のコンビニスナックは「どこのお店で何を食べてもおいしい」と言われる金沢の、ひとつの究極の料理の形なのかもしれない。

なお、ひとつひとつの料理には、それに合わせたお酒が提供される。「真」にはロンガリコというトスカーナ地方のオレンジワインが合わせてあった。また、ノンアルコールペアリングへのこだわりも素晴らしかった。A_RESTAURANTでは、アルコールが飲めない人や子どもへの配慮も欠かさない。

7品目「雪」
──雪吊り“YUKITSURI”

「雪吊り」とは、金沢に積もる重たい雪から木々の枝を守るために、縄で枝を吊すという風習だ。EAT KANAZAWAが開催されるのは冬。雪が降り積もる金沢で行われたことも多い。今回は暖冬の影響で雪はほとんど見当たらない金沢だったが、A_RESTAURANTのテーブルの上には粉雪が舞った。

料理の主役は“おにぎり”。中には、牛肉、フォアグラ、トリュフを組み合わせたロッシーニが詰められていた。ある意味、日本食とフランス料理の代表格の融合だ。テーブルには雪山を模した紙が広げられ、おにぎりの皿が白い木の枝に吊り下げられた状態で登場した。この日のためだけに作られた皿とは思えない手の込んだ器だ。アンドレシェフがおもむろに皿に近づき、上から細かいライスパウダーを振りかける。うっすらと雪化粧した金沢の冬の景色が、テーブルの上に浮き上がってきた。

おにぎりは、フォアグラのタブレットとフォアグラの茶碗蒸しと共に饗された。“締めのご飯物”というにはあまりにも贅沢な内容だが、見た目だけでなくやはり味のほうも絶品だった。

8品目「継」 ──金継ぎ“KINTSUGI”

割れてしまった器を、漆と金で継ぐ「金継ぎ」。壊れた器が復活するだけではなく、独特の味わいが生まれ、新たな価値を生み出す手法でもある。デザートは、その金継ぎをイメージしたものだ。

メニューは蓮根のムース、ミルクで煮た栗とヘーゼルナッツが添えられる。仕上げに、温めたミモザのソースをシェフがかけて回る。

目を引くのはその器だ。金沢周辺で焼かれる九谷焼だが、鉄粉という斑点が出てしまったものは市場に出ないことがある。その割れた破片をひとつひとつ集め、釉薬をかけて焼き直したものが皿の上に乗り、それがデザートのプレートとなっている。金粉があしらわれたねっとりとしたソースが破片に流れ込み、美しく輝く。割れてしまった器に、新たな命が吹き込まれた瞬間だ。

以上がこの日のメニューとなる。おそらく二度と同じものに出会うことはないだろう。誰にも真似できない巧みでこだわり抜いたメニュー構成に、参加者は自然に笑顔になる。そして、贅沢な時間を提供してくれたクリエイターに対して人は自然に敬意を払うようになることを、あらためて体験する機会にもなった。

アンドレ・チャン シェフのコメント

金沢に対する私の視点というものを料理に込めて表現することができました。私の料理を通して、金沢に住んでいる方にも、金沢にやってこられた方にも、あらためていろいろな金沢を知ってもらえたと思います。その体験を皆さんがすごく喜んでくれている姿を見ていて、とてもうれしい気持ちになりました。

前夜祭(夜塾)

ディナー終了後は、一般の参加者もA_RESTAURANTに集まって、参加者と交流する「夜塾」のミニ版が開催された。冒頭に、宮田人司さんによる恒例の数字に関する雑学が披露された。今回23回目のEAT KANAZAWAということで、「23」がいかに特別な数字かという話を皮切りに、今回参加のクリエイターたちと参加者の交流会が行われた。