DAY-2 午前の部
モデレーター
中島 信也(東北新社)小西 利行(POOL inc.)
宮田 人司(Mistletoe・OPENSAUCE)
イントロダクション
二日目となる2月8日は、2020年代のEAT KANAZAWAをどうしていけばいいのか話し合いの場を設けるという趣旨で開催された。場所は花鏡庵金沢。今回、ゲストスピーカーとしても参加している米国のアニメーションスタジオ「TONKO HOUSE(トンコハウス)」が、日本の拠点を置く場所だ。金沢の歴史的景観を残す金澤町家の料亭、その2階を改装し、アニメスタジオが開設されたわけだ。築160年を越える情緒ある佇まいの中、ところどころにトンコハウス制作のアニメキャラクターのクレイモデルが並び、何か面白いものが生まれてきそうなクリエイティブな空気感が会場内に醸し出されていた。
午前中には、2階の大広間で、新規ゲストのプレゼンテーションが行われた。今回の人選はコピーライターの小西利行さんだ。
ゲストプレゼンテーション
●平野 紗季子(フードエッセイスト)
小学生から食日記をつけ
食の力を言語化
最初に登壇したのは、フードエッセイストの平野紗季子さん。食にまつわる執筆や商品企画を中心に活躍されており、“EAT”となったこのイベントの最初の登壇者にふさわしい方だ。平野さんは、食の持つ役目と力について話をしてくれた。
「小さい頃から食べることが好き過ぎて、小学生時代から食日記をつけ続けていたんです。でも今見返すとすごく赤裸々で口が悪くて、初めてチェーンの居酒屋に行ったときの日記に『もう行くことはない』とか書いてあるんですね(笑)」
その頃から食にはこだわりが強く、小学4年生のときに居酒屋に行ってみたいという欲望が高まって、連れて行ってもらったという。
「やはり、雰囲気がダメ。店がどんなにきれいでも、来ているお客さんの雰囲気で店は決まってしまう」という辛口の評価をしたというエピソードを披露した。
平野さんが取り組んでいるのは、食にまつわるストーリーテリング。食べたもののレビューといった単なる情報伝達ではなく、物語を伝えることを軸にして活動している。
「食事そのものではなく、その先に広がる食体験、食の周辺に起こる現象自体を作っていきたいと考えています」
その結果たどり着いたのは、食のメディアの起ち上げで、新しく“食の場メディア”として「APPE-TIDE」のティザーサイトを公開したところだ。これは、次に登壇する田中 開さんと共に準備中とのこと。
「今のデジタル化された社会にあって、食の価値が変わってきています。とてもアナログでフィジカル、そして総合芸術的で、カルチャーとして面白い存在になっています。しかし、そうやって進化し続ける食に対して、伝えるメディアは並走できているのだろうか。未だにグルメ情報の域を出ないものが多いのではないかという疑問があります」
食をクリエイティブ産業と捉え、食に対する感受性の幅を広げ、食から社会を考えることを目指すメディアとして、APPE-TIDEを始動させた。
食に関わる方々はクリエイター
社会を変える力がある
平野さんには、学生のときにある大人に言われ、今でも納得いってない言葉がある。
“そんないいもんばっかり食ってたら、ろくな大人にならねえ”
平野さんにとってはそれは、まったく逆で、いいものを食べることで“ろくな大人になれる”と考えている。「美食=贅沢、ステータス、金持ちの道楽といった価値感で捉えることは、とてもつまらないことだと思います」と平野さんは言う。
「料理人は、今や社会、世界を変えるような価値感を生み出そうとしています。例えば、米国のホセ・アンドレ氏は、トップシェフでありながら、被災地で食事を提供する活動を行ったりして、ノーベル平和賞の候補にもノミネートされました」
料理人は今や、世界を変えるかもしれないクリエイターでもあるのだ。
「食に関わる人は、まるで美しいケモノのような存在だと思ってます。自然のことをよく理解し、一方で都市の欲求にも応えるという、自然と人をつなぐ接点となっていて、現在の私たちが必要としている価値感を提示することもできます」
平野さんはメディアを通して、そんな食の力、食に関わる人の持つ素晴らしい価値感など、新しい角度から見える食の魅力を知ってほしいと考えている。
「より良い食とは、誰かを変える力がある“種”だと思います。EAT KANAZAWAも、金沢の“EAT”を通して誰かを変える種を探していけるようなイベントになればいいなと思っています」
アンドレ・チャン シェフの芸術的な食事で始まった新しいEAT KANAZAWAへの期待を、そんな言葉で締めくくった。
モデレーターのコメント
小西
「食というジャンルがクリエイティブのひとつとして認められ、シェフがクリエイターとしてリスペクトされています。テクノロジーやアートが中心だった“eAT”から“EAT”に変わった今回は、食の文脈でストーリーを語り始める人が参加してくれるターニングポイントなのかなと、あらためて思いました」
宮田
「小学生の頃の好奇心の強さ、そしてその好奇心をきちんと可視化して残しているところがスゴい!
“EAT”になってあらためて、クリエイションには今、何ができるのかを確認することが大事な時代になってると思いました」
●田中 開(the OPEN BOOK)
お金はあるけどやることはない
そんな日々が食の力に気付かせる
次は田中 開さん。田中さんは28歳と若いが、3つの飲食店のオーナーを務める。田中さんは、物語のあるお店を目指しているという。そんな彼の店の性格は、ゴールデン街にあるレモンサワー専門バー「the OPEN BOOK」が体現している。
田中さんは母子家庭だったが、大学卒業のときに母親が亡くなられた。その際、自宅と、多額の遺産を相続することになる。
「22歳の若者が家族を亡くし、同時に大金を手に入れるとどうなるかというと、悲しみを通り越して、どうでもよくなってしまうんですね。とりあえず何もせずに遊ぼうと。就職活動もやめて、とりあえず車を買ったり、銀座の高級な寿司店でお寿司を食べてみたりしていました。あと、おじいちゃんがよく行っていたゴールデン街にも飲みに行っていたんです」
田中さんの“おじいちゃん”とは、作家の田中小実昌氏だ。ゴールデン街の顔でもあったので、孫である田中さんもかわいがられたそうだ。そんなふうにいろいろなお店に出入りをしているうちに、飲食の持つ不思議な力に気が付いたという。
「ゴールデン街で飲んでいると、偶然有名人と隣り合わせになって紹介してもらって、特に仲良くなるわけではないですけど、突然話をすることになるといったことがあります。一方で、高級な寿司屋などの有名なお店を予約すると、それにかこつけて有名な人に声をかけることができたりします。普段ふらふら飲み歩いている若者が、昼間には会うこともできない人を、食を通じてなぜか2時間独占できてしまうといったことが起こるんです。これが飲食の持つ力なんだなと思いました」
1年ほど遊ぶとさすがに遺産も目減りし、商売を始めることにする。祖父の縁もあり、ゴールデン街の店を買い取って改装し、店を開いた。それがthe OPEN BOOKだ。
人がいなくても人が集まる
ストーリーのあるコンセプト
ゴールデン街は、200店舗以上の店がひしめく激戦区と言える。
「でもこれだけお店が並んでいるのにメニューがだいたい同じで、“キンミヤのお~いお茶割り”しか出ないんですよ。こんなにバラエティ豊かな街で多様性もあるのに、商品という部分では、そんなに経営努力をしない店が200件並んでいるというのが、ゴールデン街の本質なんですね。みんな同じものが出てるのに、特に価格で人気が決まるわけじゃなく、お店の人なんですね。でも僕は店には出ていたくなかった。そこで、人がいなくてもお客さんが集まってくれるようなコンセプトを考えました」
そこで考えたのが、「新宿ゴールデン街でレモンサワーが一番おいしい店」という触れ込みと、ゴールデン街の顔であった田中小実昌氏の蔵書を並べるコンセプトだ。当時の蔵書は交流があった著者からの献本も多く、並ぶ本を手に取れば田中小実昌氏のコミュニティも垣間見えるという仕掛けになっている。そして現在、the OPEN BOOKは、ゴールデン街で最も混み合うお店のひとつとなっている。
同様の仕掛けを、開店したばかりの日本橋兜町にあるライブラリーバー「青淵(アオ)」でも展開している。築100年ほどの元第一銀行の支店だった建物だ。
「そこで、この建物が建設された100年前、その頃兜町に住まいがあった渋沢栄一をコンセプトに本棚を構成し、彼らの夢や思想をたどれる空間を作りました。当時、彼は海外からの来客を招くための和洋折衷の茶室を用意していました。それにヒントを得て、海外の方でもソファでくつろぎながら日本のお茶を飲めるような場所に仕上げています」
3つ目の店では、新しい挑戦も始まっている。単独のバーではなく、人気のフレンチレストランを作り、その隣にちょっとカジュアルなダイニングを作ってフレンチからあふれた人が行く。さらに、その横にバーのような空間を作って、ウェイティングバーのように使ってもらい、全体が受け皿になって賑わってほしいというコンセプトだ。
「『タップカクテル』というバーを作る予定です。日本の酒税法の規定では、お酒を混ぜることが簡単ではないのですが、タンクからリキュールをタップで注いで混ぜるという新しい仕組みを国税局に申請中です。これが実現すれば、どこででも自家製のお酒を作って提供できる可能性があります」
新しいストーリーがつむがれていく田中さんのお店は、飲食業界にこの先も新しい風景を見せてくれそうだ。
モデレーターのコメント
中島
「昔のクリエイターはもっとガツガツしていて、自分を押し出していくような人が目立っていたけれど、田中君は終始、スタイルが自然体なところが面白い。この脱力とエネルギーの関係に興味ありますね。河口洋一郎さんがよく『サバイバルだから!』と力説していたけど、まったく逆ですね(笑)。新しいEATのスタイルです」
●堤 大介 “Dice Tsutsumi”
(トンコハウス)
ピクサーという巨大企業を離れ
小さなスタジオを設立
続いては、米国のバークレーを拠点に活動する小さなアニメーションスタジオ「TONKO HOUSE(トンコハウス)」の堤 大介さんが登壇した。
堤さんは、トンコハウスを起ち上げるまでピクサーに所属しており、『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』といった代表作のアートディレクターを務めていた。しかし2014年、同僚のロバート・コンドウさんと共にピクサーを離れ、トンコハウスを設立。半年後には、今回のEATにも参加したジェネラルマネージャーの三宅大介さんも加わり、現在では20人余りのスタッフで運営されている。ピクサーと言えば、アニメ制作者にとってのひとつの頂点と言っても過言ではない。にもかかわらず、ピクサーから離れて制作をしようと思ったきっかけは何だったのだろうか?
「当時、ピクサーでいっしょに制作に関わっていたロバート・コンドウと、2人で短編映画を作ろうという話になり、『The Dam Keeper(ダム・キーパー)』を制作しました。いわゆる自主制作アニメですね」
『ダム・キーパー』は、動物たちが暮らす世界を絵画のような柔らかなタッチで描いた絵柄が特徴だが、その軽やかな見た目の印象とは裏腹に学校でのいじめという重たい話をテーマとして取り上げている。自主制作のショートフィルムでありながら、米アカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートされるなど、大きな話題となった作品だ。しかし、独立した理由は、この作品が話題になったり、さまざまな映画祭で受賞したからというわけではない。
「サンフランシスコの小学校で『ダム・キーパー』の上映会を開いたんです。本当はアニメ制作の話などをするつもりでいたのですが、上映が終わると、子どもたちが自然にディスカッションを始めました。誰が悪いのか、どうしてこうなったのか、登場する動物に感情移入する余り泣いている子もいたりして、ストーリーテリングの強さを目の当たりにしたんです」
これこそがやりたかったことだと気付いた2人は、その後に独立し、自分たちの作りたいアニメを目指すことになる。
好奇心を刺激することで
世の中を変えていける
堤さんをはじめ、コンドウさん、三宅さんも、3歳から8歳の小さなお子さんがいるお父さんだ。この子たち、そして同じ世代の子たちに何をやってあげられるだろうかと考えたとき、思い浮かんだのは、「好奇心こそが新しい世界への道しるべだ」というウォルト・ディズニーの言葉だった。
“We keep moving forward, opening new doors, and doing new things, because we’re curious and curiosity keeps leading us down new paths.”
「『これは何だろう?』という好奇心があれば、人は必ず質問をします。それは子どもも大人も変わりなく。僕らは、それこそが目指すものだと思いました」
『ダム・キーパー』は、「いじめはいけません」というメッセージを直接的に表現した作品ではない。しかし、それを見た子どもたちはそこで起きている問題に好奇心を抱き、自然に意見を出し合い、問題を語り合った。
「主人公は問題を抱えながら生きています。それを見て、周りの人は何を考えるのか。いじめっ子も問題ですが、最も問題なのはそれを回りで見ているだけの人たちだと思うんです。もしも彼らが好奇心を持っていたら、『これは何なんだろう?』と質問するはずなんです」
堤さんは、今の社会全体が抱える問題には、相手に対する興味のなさ、好奇心のなさが作用していると感じている。
「今、人の意見を聞かない世の中になってしまっているように思います。SNSでのやり取りでもそうだし、アメリカの政治なんかも同様で、リベラルとコンサヴァティブがバラバラで相容れない。好奇心というのは、自分以外の意見にも興味を持つということだと思うんです。それが、子どもたちの明るい未来を創っていく上で一番大事なことではないかと考えています。それが食であろうと、テクノロジーであろうと、やっぱり次世代の人たちが好奇心を持ってどうやったら世の中って変わっていくのだろうと考えてくれたら、絶対にそこに希望があると思うんです」
『CuriosityをInspireしよう』というトンコハウスのミッションステートメントも、その考えを軸に据えられている。
「子どもから大人まで、とにかく好奇心を刺激して、会話を生み出そう。正しい答えなんて決まっていません。答えを見つけるための会話をどんどん生み出していく──トンコハウスは、そんな作品を作っていきたいんです」
米国バークレーに本拠地を置く彼らだが、日本にも拠点を置く。以前は東京だったが、今回のEAT KANAZAWAの会場となっている金沢の花鏡庵金沢の2階に新しいスタジオを準備中だ。歴史ある建物の中に作られるアニメスタジオは、一般的なスタジオとはひと味違うものだった。今年は、東京で昨年実施した「トンコハウス映画祭」を金沢で実現し、ローカルの人たちと深く関わりたいと考えているという。またひとつ、人々の好奇心をくすぐるステキなプロジェクトが金沢で産声を上げることになりそうだ。
モデレーターのコメント
宮田
縁あって、トンコハウスといっしょに金沢で活動していくことになりました。今イベントをやっているちょうど隣に、新しいスタジオができることになっています。このスペースでトンコハウスのアーティストとワークショップを開催する企画も考えています。金沢で制作された作品が世界に向けて羽ばたく発信源となっていくはずです。
中島
eAT KANAZAWAは当初、子どもたちといっしょにやっていた教育イベントだったんです。われわれの世代はいつの間にか、文化をどうやって産業化し、お金を生むかということにとらわれていたような気がします。でも今、人を育てていくという視点に立って次の世代のことを考えるということが、新しい文化を生んでいくんだということに気付かされました。今、本当に良い刺激を受けています。
●山本 麻友美(LeaR inc.)
お客さんに近い場所から
トンコハウスの魅力を届けていく
最後に登壇したのは、トンコハウスの日本でのPRを担当している山本麻友美さん。トンコハウスの活動を中心に、コミュニティを活用したPRを実現していくためのポイントを語ってくれた。
「堤さんをはじめ、スタジオの皆さんとお話をしていると、ハリウッド映画のように大きな宣伝を打っていくものではなく、もっとお客さんに近い関係性を持って行うブランディングのほうが、トンコハウスには合っていると感じました。それを踏まえて、2019年5月に『トンコハウス映画祭』を開催しました」
『トンコハウス映画祭』は、そんな中で生まれ、企画から2カ月半という短期間で実現したイベントだった。世界からさまざまな短編アニメーションを集めて上映するという内容だが、それに加えてトンコハウスやピクサーのクリエイターが参加するワークショップなど、一般的な映画祭とは異なる内容の企画を起ち上げた。
「この企画は最初、クラウドファウンディングを利用して開始しました。トンコハウスがどういったアニメーションスタジオなのかを紹介するとともに、ワークショップの参加チケットなどをセットにして資金を募集したところ、目標額を大きく上回る1200万円以上の資金が集まり、映画祭を開催することができました。上映会にも一般の方が多く参加してくれました」
上映を行ったシアターにも仕掛けを用意した。シアターのカフェとコラボレーションして、実際のスタジオに置いてあるような机やイス、壁に掛かっている黒板を配置したりして、米国のトンコハウスのスタジオを模した空間を作り上げた。
「これがとても好評で、参加者の皆さんがカフェで思い思いにスケッチをしたり、声をかけてスケッチ仲間を見つけたり、それをきっかけにトンコハウスのコミュニティが生まれたんです」
映画祭の会期中には、監督の堤 大介さんなど、トンコハウスのクリエイターと来場者が直接意見を交換し合える場を設けた。そこでは、参加した人から「次回はもっとこうしてほしい」とか「映画を見終わったあとにこういう場があれば良かった」といった意見をたくさん聞くことができた。参加者といっしょに作っていくというトンコハウスらしい映画祭となった。
サステナブルな
エンターテインメントとは
この映画祭期間中のプロジェクトの中で行われた「ウォーキングスケッチ」という企画があった。参加者がスケッチブックを持って新宿に集まって、みんなで散歩しながら街のスケッチをしていくという内容だ。ウォーキングの最後には、先ほど登壇した田中 開さんの「the OPEN BOOK」に集まって、みんなでレモンサワーやレモンスカッシュを飲みつつ、みんなが描いたスケッチブックの絵を見ながら、堤さんからフィードバックをもらったり、お互いに意見交換をしたりする時間も作った。
すると、このウォーキングスケッチがきっかけとなり、このイベントに参加してくれた人たちが主導して『ウォーキングスケッチ会』というイベントが、毎月開かれるようになったという。トンコハウスを応援してくれる人たちがコミュニティーを作り、自分たちで活動してくれるようになったのだ。
「この映画祭を企画したとき、これをきっかけとして、トンコハウスに好奇心を刺激されて、参加してくれた人の輪が広がり、コミュニティが生まれるといいなという思いがありました。『ウォーキングスケッチ』は、それを実現してくれたとてもいいイベントになりました」
映画祭をきっかけに広がったコミュニティ。今後もその輪が広がり続けるための仕掛けが必要だ。
「同じ好奇心をインスパイアし合いたいという目的で人が集まって、映画をいっしょに観たり、スケッチを見せ合ったり、そんな活動ができるオンラインの場所ができたらいいなと思っています。ときには、リアルで集まってディスカッションしたり、オンラインで日々感じたことを共有したり、それぞれが童心に戻れる場が作れたら素敵ですよね」
山本さんは今後、「サステナブルなエンターテインメントとは何か」ということを考えていかなければならないという。作品を作る過程からいっしょに応援してくれる仲間がいるということが、大きな価値になる。
「アニメーション作品の制作は2年、3年とかかる長い旅です。公開されたときだけでなく、それまでの旅の過程で起きるいろいろな出来事も一緒に共有し、新しい作品が世に出るときにはいっしょに喜ぶことができるような楽しみ方があってもいいのではないかなと思います」
翻って、EAT KANAZAWAに対して、どのように思っているのだろうか。
「金沢にクリエイティブコミューンができれば、面白いと思いました。この街でクリエイターは何でも表現していい、というルールを設けて、落書きOKとか、ドローン飛ばし放題といった“特区”が生まれてくれば、金沢がクリエイティブが発展しやすい場所として成長していくのではないかと思います」と、EAT KANAZAWA、そして金沢への期待で締めてくれた。
モデレーターのコメント
宮田
実際、僕らがトンコハウスといっしょにやっていこうとなったときに、まずはトンコハウスが何をやっていて、何を目指しているのかということを広く伝えるということが大事だと思ったんです。そのときには僕らのようなオジサンの旧来のやり方ではなくて、麻友美さんのような新しい発想が必要だと思いました。それでお願いすることにしたんです。すごく勉強になってます